「九天の鳥篭」 


「その侭廓抜けしてればまだ可愛げのあるもんを、どの面下げて戻って来てんだ、あァ?」
「ええやんか、戻って来たんやし」
「もっと悪びれろこの馬鹿!大体、折角の客を殴り倒すたぁどういう了見だ」
「おっそろしく下手糞で、おかしな趣味持ちやったから」

 しれっと言い放つと、「あー、眠い」と自室の襖を開ける。
 後から付いて入った黒岩は、部屋の畳の上に転がった無数の酒の空き瓶を見て眉を潜めた。

「昨夜のか、これは」
「ちゃうちゃう、昨夜は塀越えて橋越えてな、向こう岸の飲み屋で景気付けー」
「てめえの借金が減らねえのは酒の所為だぞおい」
「ありゃ糞親父の拵えたもんやもん」

 二階にある自室の窓辺に座って、大きなあくびを一つする。

「借金のカタに俺が来たってんねやから、その時点で糞親父の借金はチャラの筈や。その後俺が稼いだ金で俺が酒飲んで何が悪いっちゅーねん」
「屁理屈捏ねやがる。何時まで経っても出れねえぞ」
「出たないもーん」

 襦袢の襟を撫でて、シマは内緒話でもするように小声で黒岩に囁く。

「帝都で、屋根付きの一人部屋が貰えて、三食出て、金もまぁちょこちょこ稼げて、ついでに気持ちええ事が出来るなんて仕事他にあらへんやろ。楼主のダミ声は耳障りやけどどうして案外人もええしなー」
「教えてやろう。それを楼主本人に言う所がお前の人生の敗因だぜ」
「いったぁ!暴力反対!」
「お前が言うなお前が!」

 小突かれて涙目になったシマに、黒岩が嘆息する。

「なぁシマよ、お前売れっ子なんだからその気になりゃァ身請け先だって選び放題じゃねえか。ほれ、高嶺様ん所の次男坊、あれなんかどうだ」
「ああ、好き好き。優しいねんあん人」
「そうか。いや実はあちら様から身請けの話が来ててな」
「いつもんとーり、返事しといてや」
「……判らねえな、好きなんだろ?なんで断る?」

 窓の外を見ながら、シマは呟いた。

「身請けなんかごめんや。ええべべ着せてもろて、ええもん食えて、てのは魅力やけどな。おんなじ鳥篭なら、自由に出入り出来るここの方がええ」
「言っとくが、「自由に出入り出来る」てのはお前の勝手な脱走だからな」
「ははは」
「はははじゃねえよ」
「後腐れない方がええねんて。俺、どうも本気で人好きになれんみたいなんや」
「……シマ」

 誰のものにもなれないから、誰も要らない。
 誰の手の届かない九天の鳥篭の中で、自由に生きれればそれでいい。
 後は、出来るだけ楽に死ねれば。

「難儀な奴だ」
「おーきにどーも」

 黒岩は処置なし、とばかりに大きくため息をついた。

「シマ。昨夜の脱走で今日はちょっとした話題だ。お前店先で格子に入って客寄せしてろ」
「へいへい」

 どこまでも堪えないシマにもう一発拳骨をくれてやって、黒岩は部屋を出た。
 襖が閉められると、シマは浮かべていた人の悪い笑みを納めた。
 寂寥を帯びた憂鬱な瞳は、茫洋と春の空を見上げている。
 重い雲を抱いた空は、夕暮れを待たずに泣き出すだろう、と思った。


お題:恋煩い症候群様より「九天の鳥篭」

SugakoSatoh@√310