もうちょっとおって 2 


 その一日は、初めての当直の日よりも緊張した。
 テレビにラジオをフル活動させて、海難情報が流れてきやしないかとアンテナを張った。
 いつにも増して、日本国中の海上の平和と安全を祈った。
 だから。

「……なんでお前がそんな消耗してんねん」

 嶋本が約束通り官舎を訪れた時には、精神的に満身創痍だった。
 玄関のドアを潜ると嶋本は家主にビールとつまみの入ったコンビニの袋を無言で渡した。

「何か食べます?」
「……あー……いや、今はええわ。後で何か食いに行こ」

 後で。
 その言葉にくすぐったい温もりを感じていた大羽は、「何ニヤけてんねん。キショい」と言う言葉で我に返った。
 玄関の鍵を閉めると、先に部屋に入った嶋本の後を追う。
 畳に座り込むと、嶋本が大きな溜息をついた。

「『溜息吐いたら幸せが逃げる』……とかベタな事言うたら殺すぞ」
「……わしは何も言うとらんが」
「言いそうな顔しとるんやもん」

 もん、とか。
 三十路超えた男が言う言葉ではない。
 違和感のない所が違和感だ。
 そう思っていると、もう一つ溜息が落ちた。

「軍曹」
「お前それ抜けんなあ」
「……じゃあ隊長」
「………………よしたってくれ」

 苦笑の中に兆す切なげな気配に、大羽の胸が痛む。
 まだ、この人は。
 喜色が薄れて行く。
 結局、自分は嶋本の中のあの人の存在には、敵わないのだ。
 年月が違う。
 築いてきたものが違う。
 だから比べる事が間違っている。
 それは判っているのだけど。

「大羽ぁ」
「はい」
「ビール」
「あ、……はい」

 コンビニの袋からビールを取り出して差し出すが、嶋本は受け取らない。

「軍曹……?」
「開けて、大羽」

 ……急激に上昇した体温で、一瞬眩暈がした。
 プルタブにかけた指は、失敗する事4回目で漸く事をなした。
 激しく脈打つ鼓動が、缶を掴む指先を伝って嶋本に伝わりはしないか、と大羽は思った。

「どうぞ」
「んー」

 嶋本はビールの缶を受け取ると、勢い良く呷った。
 嚥下する喉の動きを眺めている間に、一本目が空になる。

「大羽、もう一本」

 開けろと言う事だろうか。
 その飲みっぷりにいっそ感動しながら、二本目を渡す。
 遅ればせながら口をつけたビールは、弾けながら喉を通って行った。

「……あー」
「軍曹?」
「……なんで俺こんな所におんねやろ」

 ビール缶を指で弄びながら伏目がちに嶋本は呟いた。
 以前住んでいた事もあるであろう官舎に対してこんなところ、とは甚だ失礼な言い草だが、一度出向いた事のある嶋本の部屋に比べれば、充分貧相ではある。
 大羽は苦笑しながらつまみを袋から出して畳の上に置いた。

「三隊はー……」
「……ぅん?」
「三隊は、大変なんじゃろうか」
「……なんでや」
「軍曹を疲れさしとる」
「疲れてなんぞおるかい」
「じゃったら何でそがぁな顔するんじゃ」

 嶋本がこちらを見た。
 一瞬条件反射で怯んだが、何とか続ける。

「無理に笑うくらいなら、怒鳴っとる方が似おうとる。……あんた、今無理しとる」
「言い切りよったな」
「判るんじゃ」
「なんでや」

 作り笑いでも苦笑でもなく、嶋本が見つめる。
 嶋本の身体に滑り込んだビール程度のアルコールでは、まだ素面に近いはずだ。
 冗談めかして誤魔化す事も出来ないだろう。

「なんで、お前にそんなんが判るんや、大羽」

 空き缶を横に追いやって、嶋本が身を乗り出す。
 責められている語調ではないのに、居た堪れなくなったのは、間近で見上げてくる視線が、昼間とは違ったからだ。

「……あんたの事ずっと見よるからじゃ」


真昼の夢様より「関西弁でお題」10c挑戦中

SugakoSatoh@√310