その一日は、初めての当直の日よりも緊張した。
テレビにラジオをフル活動させて、海難情報が流れてきやしないかとアンテナを張った。
いつにも増して、日本国中の海上の平和と安全を祈った。
だから。
「……なんでお前がそんな消耗してんねん」
嶋本が約束通り官舎を訪れた時には、精神的に満身創痍だった。
玄関のドアを潜ると嶋本は家主にビールとつまみの入ったコンビニの袋を無言で渡した。
「何か食べます?」
「……あー……いや、今はええわ。後で何か食いに行こ」
後で。
その言葉にくすぐったい温もりを感じていた大羽は、「何ニヤけてんねん。キショい」と言う言葉で我に返った。
玄関の鍵を閉めると、先に部屋に入った嶋本の後を追う。
畳に座り込むと、嶋本が大きな溜息をついた。
「『溜息吐いたら幸せが逃げる』……とかベタな事言うたら殺すぞ」
「……わしは何も言うとらんが」
「言いそうな顔しとるんやもん」
もん、とか。
三十路超えた男が言う言葉ではない。
違和感のない所が違和感だ。
そう思っていると、もう一つ溜息が落ちた。
「軍曹」
「お前それ抜けんなあ」
「……じゃあ隊長」
「………………よしたってくれ」
苦笑の中に兆す切なげな気配に、大羽の胸が痛む。
まだ、この人は。
喜色が薄れて行く。
結局、自分は嶋本の中のあの人の存在には、敵わないのだ。
年月が違う。
築いてきたものが違う。
だから比べる事が間違っている。
それは判っているのだけど。
「大羽ぁ」
「はい」
「ビール」
「あ、……はい」
コンビニの袋からビールを取り出して差し出すが、嶋本は受け取らない。
「軍曹……?」
「開けて、大羽」
……急激に上昇した体温で、一瞬眩暈がした。
プルタブにかけた指は、失敗する事4回目で漸く事をなした。
激しく脈打つ鼓動が、缶を掴む指先を伝って嶋本に伝わりはしないか、と大羽は思った。
「どうぞ」
「んー」
嶋本はビールの缶を受け取ると、勢い良く呷った。
嚥下する喉の動きを眺めている間に、一本目が空になる。
「大羽、もう一本」
開けろと言う事だろうか。
その飲みっぷりにいっそ感動しながら、二本目を渡す。
遅ればせながら口をつけたビールは、弾けながら喉を通って行った。
「……あー」
「軍曹?」
「……なんで俺こんな所におんねやろ」
ビール缶を指で弄びながら伏目がちに嶋本は呟いた。
以前住んでいた事もあるであろう官舎に対してこんなところ、とは甚だ失礼な言い草だが、一度出向いた事のある嶋本の部屋に比べれば、充分貧相ではある。
大羽は苦笑しながらつまみを袋から出して畳の上に置いた。
「三隊はー……」
「……ぅん?」
「三隊は、大変なんじゃろうか」
「……なんでや」
「軍曹を疲れさしとる」
「疲れてなんぞおるかい」
「じゃったら何でそがぁな顔するんじゃ」
嶋本がこちらを見た。
一瞬条件反射で怯んだが、何とか続ける。
「無理に笑うくらいなら、怒鳴っとる方が似おうとる。……あんた、今無理しとる」
「言い切りよったな」
「判るんじゃ」
「なんでや」
作り笑いでも苦笑でもなく、嶋本が見つめる。
嶋本の身体に滑り込んだビール程度のアルコールでは、まだ素面に近いはずだ。
冗談めかして誤魔化す事も出来ないだろう。
「なんで、お前にそんなんが判るんや、大羽」
空き缶を横に追いやって、嶋本が身を乗り出す。
責められている語調ではないのに、居た堪れなくなったのは、間近で見上げてくる視線が、昼間とは違ったからだ。
「……あんたの事ずっと見よるからじゃ」
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